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板東英二 中日 ピッチャーや!
板東英二 中日 ピッチャーや!(めちゃイケより・・・)

★板東英二とは・・・
長いのでまとめると、
(1)高校野球の一大会における通算奪三振の最多記録保持者
(2)プロ11年間で77勝65敗
(3)中日の初代リリーフエース
(4)1961年に21歳で開幕投手(中日の開幕投手の最年少記録)
(5)王、長嶋よりも高額だった契約金(2000万円。王、長嶋はともに1800万円)
中学卒業後1956年、徳島商高に入学。その年の夏の甲子園に出場するも1回戦で敗れた。1958年、再び夏の甲子園に出場。秋田商高(エースは後に国鉄→サンケイで活躍した石戸四六)、八女高を下して迎えた準々決勝·魚津高戦。18回で25の三振を奪うが相手投手・村椿輝雄も譲らず、0対0のまま引き分け再試合となった(「18回引き分け再試合」が適用された最初の試合。詳細は魚津対徳島商延長18回引き分け再試合を参照)。この再試合も完投し勝利。準決勝では作新学院高を破ったが、決勝で力尽き柳井高に敗れた。この大会で記録した83奪三振は高校野球の一大会における通算奪三振の最多記録であり、現在も破られていない。この記録に関しては自らも相当誇りに思っている様子で、斎藤佑樹のハンカチ王子フィーバーの際も出演番組で「甲子園の奪三振の記録は僕の方が上なんだから!」と何度も語っていた(斎藤佑樹の一大会の奪三振記録は78個)。
1959年、中日ドラゴンズに入団。同期入団には王貞治(巨人、現ソフトバンク監督)、張本勲(東映、現解説者)、村山実(阪神、1998年死去)、足立光宏(阪急)、田中俊幸(南海、後にプロ野球審判員)、江藤愼一(中日、ロッテ、大洋、太平洋)がいる。「巨人キラー」として活躍し、プロ11年間で77勝65敗の成績を残す。とりわけ1960年代後半には、「投手分業制」を提唱する近藤貞雄コーチの勧めで抑え投手となり、中日の初代リリーフエースとなった。オールスターゲームにも3回出場している。
プロ野球時代の目立った記録としては1961年に21歳で開幕投手となっており、現在も中日の開幕投手の最年少記録として残っている。また、1966年8月26日の巨人戦にリリーフ登板し、国松彰を1球でショートゴロに打ち取って降板。これによりセ・リーグで初の1球勝利投手に輝いている。1968年に右肘軟骨除去手術を受けるも、翌年1969年限りで現役を退き、その後は野球解説者、タレントとして活躍。現在に至る。
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